あらち農園は、ブルベリーや養蜂を中心とした、個人の研究農園です。ブルーベリー畑はトンボ沼のすぐそばにあり、環境汚染の影響が少ないので多くの生物が生息しています。生息している昆虫の写真集はこちらです。
コラム
音楽栽培
サイト<https://web-mu.jp/column/12429/>より
植物に音楽を聞かせると、植物が良く育ち、良い花や良い実がつくという。逆に、ハードロックなど激しい音を聞かせると植物は枯れてしまうといいます。
これは、人間と同じように植物にも感情があると言うことでしょうか?
関連があるかどうかわからないが、二つのペットボトルに入った水で、一方のボトルには「ありがとう」と書いたラベルを張り、もう一方のボトルには「バカ」と書いたラベルを張り、言葉をかけ続けると水の性質が変わったと言う。
昔、温室でランを栽培している方の話を聞いたことがある。ランを購入目的で温室に入るときれいな音楽が流れていた。話を聞くと音楽を聞かせるとランの花がきれいに咲くということである。その時は半信半疑ではあったが、このような記事を読むと納得がいく。
曲としては、モーツァルトのピアノソナタを聴かせると良いそうです。何か、音の振動が影響しているのかも知れませんね。
また、日本の農研機構 生研センターでは、超音波を植物に照射し、病気に対する抵抗性を増す研究をしてきたそうです。そして、イネいもち病やトマト萎凋病の発病を抑制することに成功したのだそうです。
研究としては、面白そうですので実験してみたくなりました。
植物には知性や感情がある
サイト<https://karapaia.com/archives/52225543.html>より
植物同志がコミュニケーションを行っているという証拠は増えているという。また、植物は学習することもできるという研究結果もでている。
この研究結果が本当ならば、植物同志で情報を伝えあってることとなる。
最近では植物、特に木々には知能や記憶、さらには感情があるのではないかと考える科学者が増えているという。
まさか!と思うかもしれない。だが、木々が互いに話し合い、苦痛を感じ、助け合い、仲間の世話をし、コミュニティまで形成することを知れば、植物に知性や感情がないと断言するほうが難しくなる。
子供のころから自然を愛し、1980年代にドイツ林業委員会の職員となったペーター・ヴォールレーベン氏は、森を管理しながらトウヒ、ブナ、オーク、マツなど、毎日数百もの木々を見つづけているが、当初は木々の隠された暮らしぶりについてほとんど何も知らなかったという。
<森林は超生物:仲間の助けによって生き続けるブナの切り株>
ある時、管理していた森の中で、直径1.5メートルほどの苔むした石のようなものが円形に並んでい
る場所を見つけた。
ナイフで苔を剥がしたところ、それは樹皮の層だった。石のように硬く、なぜ腐らないのか不思議に思ったそうだが動かそうとしてわかったという。木は根を張っており、まだ生きていたのだ。
それは少なくとも400年以上前に伐採されたであろう大昔のブナの巨木の切り株であった。外周があった部分に”石”が育ち、内部は完全に朽ち果てていたのに完全には死んでいなかった。
切り株には葉がないので日の光から栄養を吸収できない。根はずっと昔に詰まっていて、地面から糖という形で食べ物を得ることができない。もちろん呼吸もできない。通常ならば飢えて死んでいたはずだ。
ではなぜこの切り株は生き続けることができたのだろう?
考えられるのは、切り株の周囲に生えている別のブナの存在である。それらのブナが、根をからめて切り株と繋がって、何世紀もの間、栄養を供給していたということだ。
同じ種類の木の雑木林に生息する同種の木々のほとんどは、根っこを介して繋がるようになる。まるで困った時に助け合うことがルールだとでもいうかのようで、ここから森林とは超生物なのだという結論が導かれる。
<木は仲間のみを助け、弱っている仲間を見捨てない>
しかし、そうした相互扶助は無作為なものではない。イタリア、トリノ大学の研究者によると、木は仲間の根と別種の根を区別し、よそ者を排除することすらあるそうだ。
中には緊密に根を絡め合い、夫婦のように一緒に死ぬようなものもある。病気に冒されたもの、あるいは飢えたものも識別され、回復するまで栄養を送り合ったりする。
ヴォールレーベン氏の森に生えるブナもそうした行動をとっている。それはまるで象の群れと同じで、仲間の面倒を見て、病気の仲間や弱った仲間がいれば助けるのだ。
そして、例の切り株(苔むした石)から判明したように、象と同じく死者との別れすら惜しむのだ。もちろん、どの切り株でもこうなるわけではない。大抵は腐敗して、数百年のうちに跡形もなくなる。
ごく少数だけが仲間の助けによって、数世紀の間生き延び続ける。それは、まるで木々の親密さや愛情を示しているかのようだ。
<菌を利用して仲間とコミュニケーションをとる木々>
ブリティッシュコロンビア大学のスザンヌ・シマード博士は、化学物質や電気信号を利用して、木が仲間同士で警告し合うことを発見した。
彼らは土の中に菌のネットワークを張り巡らしている。この菌が光ファイバーのように機能する。その密度は驚くべきもので、ティースプーン1杯分の面積に、数マイルもの長さのネットワークが作られているほどだ。
数世紀にわたって破壊されることがなければ、1つの菌でも森林全体に広がるネットワークを形成できる。このネットワークを介して、木々は昆虫や干ばつなどの危険を知らせ合う。
その伝達速度はおよそ3秒でおよそ2.5センチ。哺乳類の体内における速度とは比べ物にならないが、クラゲや蠕虫の類なら同じような神経伝達速度の生き物はいる。
<木々のメッセージを利用する虫たち>
これは害虫が弱っている木々を特定できる理由を説明するかもしれない。イモムシや甲虫は葉や幹をかじって木々が伝達する警告の流れを察知し、メッセージを伝達しない個体を特定するのだ。
通信の途絶する木は菌のネットワークから切り離されており、攻撃に備えたり、助けを呼ぶことができないサインかもしれない。木々が話すだけでなく、虫までが聞き耳を立てているということだ。
木と虫のコミュニケーションは何も防御や病気に関するものだけではない。甘く香る花が放つ歓迎のメッセージもある。花の香りは人間だけでなく、ミツバチなども惹きつける。糖分が豊富な蜜を求めるミツバチは、受粉を助ける大切な役割を担っている。
また、花は香りだけでなく、色彩も鮮やかだ。つまり、他の動物や鳥と同じく、木もまた子孫を残すために、官能的な香りと装飾で自身を飾り立てるのだ。
<音を出してコミュニケーションをとる植物>
植物のコミュニケーションについては、もう1つ手段がある。音だ。昔は木が意図的に音を立てるなど疑わしく思っていたが、最新の研究によると、どうやら本当らしい。
西オーストラリア大学の研究者は高感度センサーで根を観察した結果、どうらやら220ヘルツ(ラの音)の音を立てているらしいことが判明した。
この音を種に聞かせると、根がその音に向かって傾くのだ。つまり、明らかに音を聞いて、それに反応しているということだ。
木がこれほど様々な方法で話をしてるのだとしたら、一体何を話しているのだろうか?
<生態系を管理するブナと動物の関係>
ブナならいつ鹿に餌をやろうかといったことかもしれない。鹿はブナの実が大好物で、これを食べることで冬の間に寒さから身を守る脂肪の層を作る。ブナの実は50パーセントが油とデンプンで、動物たちにとっては貴重な栄養源だ。
ブナの木は3~4年間に1度、3万粒の実を結ぶ。ブナが成熟するまでには80~150年かかるが、その寿命が400年だと想定すると、少なくとも60回は実を結ぶことになる。概算でブナ1本に成る実の総数は180万個となる。だが、成木まで成長できる実は200万分の1個でしかないのだ。これだと子孫1本を残せるか残せないかのギリギリの数である。
だが、なぜブナは400年に60回しか実を実らせないのだろうか?
それは鹿の数を増やしすぎないためだ。腹を空かせた鹿が大量にいすぎると森を丸裸にする恐れがある。これでは苗木が生き残ることができない。
そのために木々は協力して、数年間控えたのちに、一斉に実を実らせる。鹿にとってはまさにご馳走であるが、毎年これを楽しむわけにはいかない。
鹿以外にもブタもブナの実に目がない。このブタは出生を結実の時期に合わせて、子ブタのために十分な栄養を摂れるよう適応した。
ブナが実を結ぶ年になると、農家の人も家畜のブタを森に放す。丸々と太ったブタは健康な子ブタを生む。それが人間の冬の食卓に上がるブタ肉となる。
ブナは森の生態系を維持する為に動物たちすらコントロールしているのだ。
<自らの葉がキリンに食べられると瞬時に毒を送り込み、仲間に知らせるアカシア>
アフリカのサバンナに自生するアカシアも生態系に大きな役割を果たしている。キリンが葉を食べ始めると、アカシアは不味い毒を葉に送り込んで実を守ろうとする。これはものの数分で起こる。木にしてみれば電光石火の速さだろう。
その後キリンはどうするか?別のアカシアから食べればいいと思うかもしれないがキリンはそれをしない。アカシアはエチレンというガスを発生し、近くの仲間に危険を知らせているのだ。
知らせを受けたアカシアもまた葉に毒を送り、葉っぱを不味くする。キリンは不味い葉があれば、他のアカシアも不味いということを経験上知っているのだ。唯一の例外は風によってガスの警告を受けることができなかったアカシアだ。キリンもまたこれも承知しており、風上のアカシアへ向かう。
<唾液から襲撃者を特定、フェロモンをだしてその天敵をおびき寄せるニレとマツ>
ニレとマツは別の戦略を使う。葉を昆虫にかじられると、電気信号を根に向かって送る。その反応には1時間ほどかかるのだが、信号を受けると葉に受かって苦い化学物質を送り込んで身を守ろうとする。
だが、それ以上に驚きなのが、木は唾液から襲撃者を特定することだ。犯人を特定した後も凄い。ある種のフェロモンを放出して、その襲撃者の天敵を呼び寄せてしまうのである。
人間が木の知性を認識することができない主な理由は、人間のタイムスケールは木に比べるとずっと短いからであろう。
例えば、スウェーデンには9,500歳以上の木が存在する。人間の平均寿命の115倍という長さだ。木を生物ではなく、物同然に考える人は多い。だが、真実はまるで違う。私たちと同じように活発に生きている。
マザーツリーについて
サイト<https://bookvinegar.jp/9684/>より
<植物と菌の相利共生>
菌根類は、植物と生きるか死ぬかの関係を構築する。この関係がなければ、菌も植物も死んでしまう。菌根類は土壌から水と養分を集め、それと引き換えにパートナーである植物が光合成によって産出した糖分をもらうのである。植物には手の届かない土中の希少なミネラルや養分、水分に菌根類なら届く。
植物にとっては、より多くの根を生やすよりも、菌を増殖させる方が効率がいい。なぜなら菌類の細胞壁は薄く、セルロースとリグニンが含まれていないので、生成に必要なエネルギーがずっと少なくて済むからだ。菌根類の菌糸は、植物の根の細胞と細胞の間に、その柔らかい細胞壁をもっと厚い植物の細胞壁に押し付けるようにして伸びる。菌の細胞壁は植物の細胞1つ1つの周りを囲む網のように成長する。
植物は光合成でできた糖を隣の菌の細胞に渡す。菌糸が土中にネットワークを広げて水分と養分を吸収するには、糖分たっぷりのこの食事が必要なのである。お返しに菌類は、土から取り込んだこの資源を、ぴったりくっついている菌と植物の細胞壁層を通して植物に渡す。
枯れかけた苗木には菌根類がいない。つまり、十分な養分を受け取れていない。一方、元気がいい稚樹の根の先は、土の水分に溶け込んだ養分を手に入れるのを助ける色鮮やかな菌類の網に覆われている。
農場で栽培される元々菌根菌がいない、あるいは灌漑され肥料を与えられて育つ植物種を除き、地球上の植物はすべて、生存に必要な水分と養分を土中から吸い上げるためにはそれを助けてくれる菌類を必要とする。
古い森には人工林と比べて菌類の種類が多く、老木と特に関係が深い菌類は、厚くて肉付きがよく、頑健で土壌中のなかなか手の届かない部分にあたるリソースを取り込める。
<木々は互いに養分と水分を融通しあう>
「森を形づくるのは主に競争関係である」というのが、自然淘汰の中核をなしているという認識に基づいて、長い間信奉されてきた思い込みである。しかし、実際には植物には互いの強みと弱みがわかり、優雅に与え合い、受け取りあって、バランスの取れた状態をつくり出す。
森の多様な生物は、会話やフィードバックや思い出や過去の失敗を通じて成長する家族のメンバーのように、結束して、混沌とした予測のつかない世界の中でもわずかなリソースを活用して繁栄できる。この結束によって森の生態系は、包括的で何があってもしなやかに立ち直れるものになる。森は複雑で、自己組織力を持っている。知性と呼ぶのが相応しい特徴を備えているのだ。
生命力に富む古い木々は、炭素と窒素の小包を、水を媒介して発芽した胚芽に送り、生えつつある幼根と子葉にエネルギーと窒素と水を提供する。新しく発芽した種子の幼根にハルティッヒネットと呼ばれる格子状のものがつくられ、子葉による光合成の微々たる量を補うために古い木々が養分を送り込むようになると、菌類は新しい菌糸を伸ばして土壌中の水と養分を探すことが可能になる。実生の小さな幹の先にもっと葉がつけば、自分で光合成した糖を菌糸に与えられるようになり、菌類はさらに遠くの土壌の隙間まで伸びていく。根が栄養を提供できる菌糸の数が多ければ多いほど、菌糸はより広範囲にわたって土壌鉱物を包み込み、土粒子から多くの養分を手に入れてそれを木の根に送り返すことができる。根が菌類を成長させ、菌類が根を成長させ、再び根が菌類を成長させるという正のフィードバックを繰り返すことで木が生まれ、土壌中にぎっしり菌糸が詰め込まれる。
<森には知性がある>
森はインターネットのようなものだ。森の木々を繋いでいるのは菌根菌だ。森はまるで、中心点の周りをサテライトが囲むシステムのようだ。古い大きな木が一番大きなコミュニケーションのハブ、小さな木はそれほど忙しくないノードであり、それらが菌類によって繋がってメッセージをやり取りしている。古木は森のハブであるマザーツリーなのだ。
マザーツリー、若木、幼木のネットワークは、人間の脳のニューラルネットワークのように、中には他よりも多くのものと結ばれているノードがある。菌根ネットワークがニューラルネットワークを模しているとしたら、木々の間を移動している分子は神経伝達物質だ。菌根ネットワークはニューラルネットワークと同じように、シナプスを通過させて情報分子を送る。分子は単に隣り合う植物細胞の隔壁や真菌細胞の隔壁孔を通って伝わるだけでなく、異なった植物の根や異なった菌根の先端にあるシナプスを越えても伝わる。
木々は、化学信号を発することによって互いを認識し、情報をやり取りし、反応し合っている。それは私たち人間の神経伝達物質と同じ化学物質であり、イオンがつくる信号が菌類の被膜を通して伝わるのである。菌根ネットワークには、知性と呼べるものの特徴があるのかもしれない。
植物同志はコミュニケーションをしている
サイト<https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/23/041900194/>より
2023年3月30日付けで学術誌「Cell」に発表された論文によると、さまざまな種類の植物が、ストレスにさらされると超音波を発するという。植物が捕食者から花粉媒介者まで、あらゆるものと「会話」していることを示唆する最新の証拠だ。この研究には重要な意義がある。植物たちのコミュニケーションの仕組みを理解できれば、増え続ける人口に対応するために耕作地を増やしたり、私たちが気候変動に適応したりするのに役立つ可能性があるからだ。
<体内での信号のやりとり>
植物が環境に反応するためには、自分の根や茎、葉、花、果実の間でコミュニケーションをとる必要がある。
植物の葉は捕食者の接近や光や音の変化を感知し、根は地中の状態(栄養分や水分、地中にもいる捕食者など)を監視している。
米ウィスコンシン大学マディソン校の植物学教授であるサイモン・ギルロイ氏によると、植物の体内の信号は、私たち動物の神経系とは異なる配管のようなものの中を伝わるという。
電気信号は、この配管の中を通る物質によって伝わるのだと、植物の相互作用を研究する生物学者でNSFのプログラムディレクターであるコートニー・ジャーン氏は説明する。例えば、根が渇水を感知すると、葉に指示を出して水蒸気の放出を制限し、水を節約するのだ。
挿し木で増やすブルーベリー
挿し木で増やしたブルーベリーの苗木です。撮影時期は1月の中旬ですが、元気に育っています。
農園主は、教育者として理科の指導に長年携わり、定年後は生まれ育った地元で、所有する農業地を活用し研究を兼ねて試行錯誤しながら、古来からのあるべく農法の姿について取り組んでいます。
現在の近代農法は、海外からの輸入農作物と競合するため、機械化による大量生産と価格を抑えるために、化学肥料や農薬使用により、見た目の良い格安な農作物を生産していますが、健康面と本来持っている植物の特性を生かすため、もう一度原点に返って古来の農法に目を向けたいと思っています。