あらち農園は、ブルベリーや養蜂を中心とした、個人の研究農園です。ブルーベリー畑はトンボ沼のすぐそばにあり、環境汚染の影響が少ないので多くの生物が生息しています。生息している昆虫の写真集はこちらです。
自然農法とは?
自然農法について提唱した人は、以下の人が挙げられます。
◆岡田茂吉
世界救世教の教祖で、明治15年に生まれ、昭和30年に亡くなっています。
◆福岡正信
発行本の「藁一本の革命」が、ベストセラーになりました。大正2年に生まれ、平成20年に亡くなりました。
両者共に、農薬や化学肥料は使わず、肥料自体入れずに、土曜が本来持っている力だけで作物の栽培を行っています。
岡田茂吉氏と自然農法 ※NPO法人 秀明自然農法ネットワークHPより
岡田氏は、幼少より病弱であり病苦の中から、人間が病いを治そうと使用してきた薬が、 実は一時的な効果をもたらすだけで、その結果として病気をより悪化させたり、新たな病気の原因になることに気づきました。
また、農業においても収量を増やしたり、おいしい作物を作ろうとして使用してきた肥料が結果として、土を汚し土の力を弱め、その作物を食する人間の健康にも悪影響を与えることにも気づきました。
昭和年に説いたこの農法の根本原理は「人肥や厩肥また化学肥料などを一切使用せず、 出来るだけ土を清浄にし感謝して栽培すると、土本来の素晴らしい力を発揮し、その地域に住んでいる人間や家畜を養うに十分な、美味な作物が豊富に収穫できる」という画期的なものでした。
以後、約300坪の畑で実験に取り組み始め、無肥料での野菜作りは、味の良いこと、虫のつかないことなどを発見しました。昭和17年には無肥料の米作りを試し、花、果樹、野菜、 水稲、小麦、大豆など、数年にわたって実験と研究を続けました。
昭和23年に「無肥料栽培」と題する論文を発表すると、徐々に全国に広がり始め、昭和25年には「自然農法」と名称を統一し、自然農法は「農業の芸術」である、と説きました。
岡田氏が自然農法を説いてから、約30年後の昭和40年代に入ると、化学肥料や農薬散布などによる人体への被害が、世間で騒がれるようになりました。
このことを早くから予言し、啓蒙や警告をすると共に、自然農法を実施して来たことは、世界的に画期的なことでした。
福岡正信氏と自然農法 サイト https://f-masanobu.jp/about-masanobu-fukuoka/ より
福岡正信氏は、大正2年2月2日に、愛媛県伊予郡南山崎村(現伊予市)に生まれました。そして、現在の岐阜大学応用生物科学部を卒業し、横浜税関の植物検査課に勤務して研究に携わりました。
しかし、急性肺炎にかかり死の淵をさまよったのを機に「この世には、何もない」と悟ります。
そこで、地元である愛媛県に戻り、農業を通して自然と向き合いながら、不耕起・無肥料・無除草を特徴とする自然農法についての研究体系化を図りました。
大自然の循環サイクルで「生かされている存在」の動植物にとって、現代的な思考で物事を捉えると、時として「自然との対話」は、困難を極める事があります。
つまり、人間が大自然を相手に、あれこれと手を加えることにより、本来の自然の姿からはかけ離れて行ってしまいます。
人智の範疇で農作業をするのではなく、極力意味をなさない必要でないものを減らしていくことで、より簡単で、より深く本質的なものと繋がります。それは、人為的作業を極力少なくして、自然との調和を図ることを意味しています。
◆あの剪定作業はしなくてよいのではないか?
◆この摘果作業もしなくてよいのではないか?
人は 本当の意味で自然を完全に知ることは出来ないから
余計なことはしない
しかし 放任することは違う
自然は 怠情な百姓に甘くない
「わら一本の革命」より
農園主は、教育者として理科の指導に長年携わり、定年後は生まれ育った地元で、所有する農業地を活用し研究を兼ねて試行錯誤しながら、古来からのあるべく農法の姿について取り組んでいます。
現在の近代農法は、海外からの輸入農作物と競合するため、機械化による大量生産と価格を抑えるために、化学肥料や農薬使用により、見た目の良い格安な農作物を生産していますが、健康面と本来持っている植物の特性を生かすため、もう一度原点に返って古来の農法に目を向けたいと思っています。